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1970年代における日本型テクノロジー・アセスメントの形成と停滞 [論文紹介]

[位置情報]水沢光「1970年代における日本型テクノロジー・アセスメントの形成と停滞―通産省工業技術院の取り組みを中心に―」『STS Yearbook2000』通巻第9巻、2002年3月、16-30頁。

<概要>
 1960年代末から1970年代初頭にかけて、公害問題の深刻化、軍事技術の制限の無い発展等を受けて、科学・技術の在り方への批判が国内外で高まった。1960年代末にアメリカで生まれたテクノロジー・アセスメントは、こうした批判に答えるものとして現れた。アメリカでは、1972年に議会にテクノロジー・アセスメント局が設立された。テクノロジー・アセスメントは、1969年に日本に紹介されたが、日本では、ほとんど機能しなかったと言われている。本論文の目的は、日本でなぜ、テクノロジー・アセスメントが機能しなかったのかを究明することである。
 今回の論文では、主に通産省工業技術院での行政を取り上げる。研究資料としては、最近になって公開されたテクノロジー・アセスメント関連の審議会議事録等を用いた。これらの資料は、1998年12月に工業技術院図書館に受け入れられたもので、合計280冊におよぶまとまったものである、この中には、手書きの審議会議事録要旨、答申作成過程の答申案などの内部資料も含まれている。本論文では、これらの資料をもとにすることで、これまで十分に明らかにされてこなかった当時の詳細な状況を解明する。
 通産省工業技術院で策定されたテクノロジー・アセスメントの制度は、アメリカで考えられていたものとは異なる独特なものであった。日本のテクノロジー・アセスメント制度は、官庁が自らの所管する技術分野に関して、企業内のテクノロジー・アセスメント実施を、推進・監督するという構造になっていた。この構造は、通産省におけるそれ以前の行政手法を、テクノロジー・アセスメントに当てはめた形式になっていた。アメリカのテクノロジー・アセスメントは、政府の行う行政施策自体に対しての、評価制度であった。これに対して、日本の制度では、評価対象のすりかえが行われていた。ここでは、評価を受けるはずの行政府が、評価の元締めになっていたのである。こうした制度のもとで行われたテクノロジー・アセスメントは、実際、現実の意思決定には、ほとんど役立たないものであった。
 本論では、まず第1節で、日本型のテクノロジー・アセスメント制度の特徴について述べる。第2節では、日本型の制度のもとで、実際に行われたテクノロジー・アセスメントについて分析する。第3節では、1970年代後半のテクノロジー・アセスメント活動の停滞を描くとともに、その原因を考察する。


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