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文部省の科学論文題目速報事業および翻訳事業―犬丸秀雄関係文書を基に― [論文紹介]

水沢光「第二次世界大戦期における文部省の科学論文題目速報事業および翻訳事業―犬丸秀雄関係文書を基に―」『科学史研究』第52巻、No.266、2013年6月、70-80頁。

<概要>
 1943年8月、東条内閣は、「科学研究の緊急整備方策要綱」を閣議決定し、戦争の遂行を科学研究の唯一絶対の目標とすることを宣言した。先行研究は、閣議決定を境に、文部省の科学動員が、一般的な科学振興から、応用的な側面を重視した科学の戦力化へと大きく転換したことを共通に指摘している。しかし、1943年の閣議決定後、科学研究の戦力化という方針でまとめきれない施策が、数多く実施されたことも事実である。先行研究では、科学の戦力化という方針に沿う施策を主要な分析対象としているため、こうした点については、十分な検討がなされてこなかった。
 本論では、主に、科学論文題目速報事業および翻訳事業の分析を通じて、1943年の閣議決定前後における文部省の科学動員について検討した。科学論文題目速報事業および翻訳事業は、1942年以降、海外文献の入手難を背景として開始された事業であり、科学振興を目指していた。本論文では、現場の研究者と文部官僚の緩やかな連携により両事業が開始、拡大していったことや、両事業が科学の幅広い分野を対象にしたものだったことを示し、閣議決定が額面通りにはおこなわれていなかった実態を明らかにした。資料としては、2007年9月に公開された国会図書館憲政資料室所蔵の犬丸秀雄関係文書を用いた。
 まず、第2節で科学論文題目速報事業について分析した。1941年後半以降、対日封鎖の拡大によって、日本国内では、海外学術雑誌の入手がほぼ途絶することとなった。科学論文題目速報事業は、1942年4月、海外学術雑誌の途絶に苦しむ大学等の研究機関からの訴えを受け、立案された。速報対象雑誌は、ドイツにおける理学、工学、医学、農学分野の約100冊で、各分野の専門家の推薦を基に選ばれることになっていた。
 1942年8月に題目速報を開始すると、研究者から詳報を求める依頼が届き、文部省は、この依頼に基づいた抄録を発行した。1943年後半以降、速報事業における主要な情報伝達手段は、電信による論文題目の送信から、雑誌郵送へと様変わりすることとなった。到着雑誌は、各分野からバランスよく選ばれていた。到着雑誌のなかには、日本におけるペニシリン研究の発端になったといわれる論文を掲載した1943年8月発行の医学雑誌も含まれていた。1944年後半、ベルリンにおける空襲等の激化によって、事業実施の環境が悪化するなかでも、事業の継続、拡大に向けた努力がおこなわれ、ドイツから日本への雑誌郵送に加えて、日本からドイツへの学術文献送付も試みられたが、1945年3月頃、速報事業は終焉を迎えた。
 以上のように、速報事業は、研究者の要望を受けて立案され、その後も、研究機関からの様々な要請を受け、事業を拡大した。事業は、軍事上の目的から特定分野の情報を速報するのではなく、幅広い分野の学術情報を国内に速報することで、国内の科学研究全般を振興しようとするものだった。
 第3節では、翻訳事業について分析した。翻訳事業は、文部省の事業として、海外の自然科学分野の書籍を翻訳しようとするもので、1943年7月に着手された。速報事業が海外における最新の学術論文の速報を担ったのに対して、翻訳事業は、ここ15年間程度に出版された海外学術書籍の翻訳を企図していた。翻訳する書籍の選定においては、科学教育に資すること、および、科学研究の促進に役立つことが重視された。この時期に、海外の学術文化の摂取を容易にするために、翻訳事業が取り組まれた背景には、1941年以降に実施された大学・専門学校等での修業年限の短縮があった。修業年限の短縮により、教育及び研究面で困難に直面した大学からは、科学教育や科学研究の促進につながる、翻訳事業の実施を求める声が高まった。書籍選定では、大学における教育研究上の必要性を反映して、基礎的な科学教育や、幅広い分野の科学研究に役立つ書籍が多く選ばれた。翻訳事業が一般的な科学振興を目的にしていたことは、終戦を挟んで、事業が継続されたことからもわかる。終戦までに出版されなかった文献の一部は、戦後、文部省科学教育局に引き継がれ、少なくとも4件が、戦後、出版されている。
 両事業の推移からは、研究者の要望に沿いながら、文部省が、1943年の閣議決定以降も、科学の戦力化からは程遠い施策を拡充していったことがわかる。1941年以降、海外学術情報の途絶や修業年限の短縮等により、もともと貧弱な教育研究環境は、さらに悪化し、現場の研究者からは、これらの問題への対処を求める声が上がった。一方、文部省科学局には、科学振興に意欲的な官僚がおり、研究者の意向を取り入れることにも積極的だった。こうした状況の下で、両者の緩やかな連携により、一般的な科学振興を目的とした施策が戦争末期まで拡大していったのである


科学史研究 2013年 06月号 [雑誌]

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/06/28
  • メディア: 雑誌


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